子どもからも、お年寄りからも
頼りにされる歯科医院を目指し
常に探究心・向上心を持って
医療努力することを誓います。
こんにちは。当院ホームページをご覧いただきありがとうございます。院長の高田恒弘(たかた つねひろ)と申します。平成17年開業以来、地域や医療関係者の皆さまに支えられ叱咤激励をいただきながら今日まで続けてくることができました。心から感謝申し上げます。
日頃の診療において私が常に心がけているのは「もし自分が患者さんの立場だったら」という視点を持つことです。患者さんにとって最善の治療は生活など背景によって異なり、一つでは足りないことが多々あります。患者さんとのコミュニケーションを大切にすることで最善の方法を引き出し、わかりやすく丁寧にを心がけ常にベストを尽くしたいと考えています。そうして築かれた信頼関係を礎に地域のみなさんにとって頼もしい存在でありたい、「痛い時だけ行く所」から「痛くはないけど時々クリーニングに行く所」、そんな親しい関係でありたいと思っています。
また医療は日進月歩します。現状に甘んじ探究心・向上心をもたずに診療にあたっていては、患者さん一人一人の声を受け止めしっかり応えることができません。「医者は口を見ない。歯医者は口しか見ない」、確かそんなタイトルの書籍があったと記憶していますが、このタイトルを知った時「全くそのとおりだ。それではいけない!」と感じました。地域医療の担い手として目まぐるしく変わる社会状況や医療ニーズに対する洞察を忘れず、また歯科医師として全身的・メンタル的サポートも含めた総合的な歯科治療を行う、それが私の役割だと思っています。
近年の取り組みに顎関節症治療(西村式)をはじめ、独自の広範なネットワークを生かした管楽器歯科診療、需要の高まる在宅医療に対応した訪問歯科診療、医科の先生方との連携によるSASマウスピース治療、そして家庭を持ったからこそ気付けた子育て家庭の大変さを、少しでもサポートしたい気持ちから出発したパパママサポートサービスがあります。
今後も歯科医師としてできること、やらねばならないこと、やりたいことのすべてにおいて情熱をもって取り組んでいく所存です。「お口のことなら、ほたる野歯科医院」と子どもからもお年寄りからも頼られる歯科医院を目指し、日夜医療努力してまいります。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
プロフィール
昭和47年 砺波市生まれ
平成9年 岩手医科大学歯学部卒業
後2年間、同大学第一保存科に勤務
出張先の秋田県で1年半過ごすが
言葉の壁(方言)にぶつかり郷里富山県に帰る。
平成14年 あらい歯科医院(小矢部市)勤務
平成17年1月28日 ほたる野歯科医院開院
趣味は陳式太極拳とクラシック音楽
出町中学校のブラスバンドで3年間チューバを担当
大学時代はオーケストラ部でファゴットと指揮を担当
学外の全日本医科学生オーケストラにも参加
歯と楽器の関係をよく解っている歯科医の一人
高田家あゆみ
祖先の想いを引き継いで、
地域医療に貢献したい。
私(院長)の家は4代前から医療を生業としてきました。戦前、曽祖父が射水市串田に高田医院を開設し、それを祖父が引き継ぎました。それから父は勤務医の道を選び高田医院は閉院しましたが、私が幼少の頃は祖父がまだ生きており、父は働きに出ながら祖父を手伝っていたのをおぼろに記憶しています。
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そして、串田の山を越えた金山地区にも診療所があり、祖父が月から土曜までの午後に出向き診察していたこと、串田の村人がお産のときには大八車に布団を積んでやってきたこと、祖父が多少高価でも良く効く薬を好んで処方していた話など、地域医療を担ってきた祖先の話を聞いて育ちました。そしていつしか自分もそうありたい、地域医療に貢献したいと願うようになりました。
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平成17年1月、同射水市の住宅団地「ほたる野ヴィレッジ」一角に、「ほたる野歯科医院」を開設しました。高田医院があった場所から約2km離れているのですが、今でも時々年配の患者さんから「昔おじいさんにとりあげてもらった」「あそこの薬は高いと有名やったけどよく効いた」など、私が聞いて育った話と同じエピソードを聞くことがあります。そんな時、祖先と同じ地で同じ医療に携われることに深い喜びを感じます。
以上は私事になりますが、我が家の歩みに誇りを持ちながら決して慢心することなく、先人や地域の人々に対する尊敬と感謝の気持ちをもって、日々みなさんの暮らしに寄り添い歩んでいきたいと思っています。
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今も残る高田医院の銅板製の看板。ずっしりと重く、たくさんの人の様々な想いの詰まった、まさに我が家の「ご神体」です。
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解体前の高田医院の玄関先。西洋風の建物は当時珍しかったとか。壁の色は実際はもう少し薄い緑で、ある時塗り直しに失敗したと聞いています(笑)
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解体前の薬品庫。ここで多くの薬を調剤・処方していました。高田医院は火傷がきれいに治ると有名で、秘伝の薬による湿布をここで作っていました。
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曾祖父と祖父が使っていた診察机と顕微鏡と整理棚。解体時「これは残そう」と決めたモノに赤い紙を貼ったそうで、現在も我が家に残されています。